sfwの理屈っぽいねん 




 2002/06/10 (Mon)
□ 兄弟姉妹
あなたは何人兄弟姉妹の何番目ですか男,女,どういうくみあわせですか
土曜日は、ビッグデーでしたもち,サッカーではない
テニスのフレンチオープン、女子シングルス、アメリカのウィリアムズ姉妹の決勝対決だったんです姉のヴィーナスと妹のセレナヴィーナスは185cm、72kgのほっそりした体形、セレナは180cm77kgの筋肉質(連れ合い曰く、セレナは油断すると肥満だねーー男ってこんなことしかいえないのか。ま、自分のテニスの腕前を考えると,こんな捨て台詞しかいえないほど、くやしがり???最も,二人とも夫より長身で、重さも勝る)で、そうそう、勝ったのは妹セレナ。姉妹で世界の1,2位となったのでしたが、姉妹の間の気持ちって,どうなのかな、と思ったのでした。まえに妹が勝ったとき、彼女は「全世界の妹,弟のためにうれしい」といったのは、やはりプレッシャーはどちらも並外れた才能があるだけたいへんだったのね。なんせ一年位前は,姉が「セレナはまだ経験も浅いし,若いから、我慢もたりないのよ」といったとか。そう、そのとし、姉はウィンブルドンで優勝,全米も優勝,の成績を残した。もっとも、妹は姉より先に全米タイトルを制したんだけど。でも、この姉妹,何歳か知ってます?21歳と20歳なんですよ!!!全く,いうことがまたけたちがいだよね。
この二人,あと兄弟姉妹が3,4人いるんです。その他の兄弟姉妹はどうしているんでしょ。
弟が一人いるだけの私なので,やっぱよくわからない。でも、お互い似たところもあるけど、違いもおおきい。弟は運動神経抜群。わたし、にぶい。40代からのテニスをはじめて,普通なのかな,とはじめて思えるほど私以外の家族は運動能力がよかったんだ,とおもいしらされる。それを基準にされちゃ、かなわないよね。もっとほかに兄弟姉妹がいたらちがってたのかも
超突出した才能のあるひとの兄弟姉妹ってどんなきもちなのかな。全員でそのひとを応援できるなら、すばらしいね!
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 2002/06/04 (Tue)
□ 日本人
ikkyuの掲示板でいろいろなコメントをみていて思ったので,ここに理屈を並べることにしました。東京vs地方、というのはここしばらく耳にし,目にする文字ですね。さよちゃんのコメントを読んでて、やっぱり日本人、そして、若いんだな、としみじみ。(私、多くの日本人のように、善悪,よしあし,自分の敵か見方か、というものの見方をしない様に生きてきた人間なので,念のため)「生粋の東京人がいるのか」という一言に、非常に日本人性を見た気がします。ということは、生粋じゃなきゃ,どこのひとでもないんですよね。地方にいって住めば「東京のひと」と警戒される。そこに代々住んでいるひとでなければコミュニティの人間とみなされない。それは,名古屋に住んでいたときにも感じたことです。神戸,大阪、京都くらいだったらよそ者も多いからよそ者でコミュニティを確立できますよね。東京がいいのはそんなことを考えなくていいから。たとえ生粋の江戸っ子でもよそ者をわけへだてしないんです。(私,数人江戸っ子ーすくなくとも3.4代まえから東京でくらしているひとーを知ってますけど,よそ者は,なんて発想はしません)こういったらどう思われるか、なんてことは考えずに発言できる。しかも、地方のように、よそ者には始めから冷たい言葉を投げ掛けない。(もちろん地方だって,いい人もやさしい人もいます。こちら側の出方も問題ですから)で、東京はみんな生きるのが大変だけど,それぞれの故郷に戻ったら,故郷はやさしく迎えてくれるのかな。やさしく、仕事も作って迎えてくれるのなら,皆さん,東京から帰れるでしょう。東京も少し楽になるし,地方にも東京のよい空気が入るのかもしれない。いずれにしても,日本の良さは日本中どこにでもあるから、それを大事にして、生きたいものです。グローバル,と考える前に、Japanだね。
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 2002/05/31 (Fri)
□ ついでにケアンズ
ケアンズの町は、昔住んでいたことのあるインドのニューデリーからインドに昔からある文化を取り除いたような,植民地風の町並みで,懐かしい気分になりました。男の人も制服姿が上は軍服風の肩当のあるシャツ,下はバミューダパンツでハイソックス、という姿もインドでおなじみの姿でした。道の十字路にはロータリーがあって。やっぱイギリスの縄張りなんですね。ただ、ここも経済は下降気味のようで,閉めてしまったお店も結構あって,不況の顔をのぞかせてました。旅行客は圧倒的に日本人が多い。やっぱり日本人は世界経済に貢献してますね。韓国人も結構いました。この両国民はブランド好きですから、よけいですよね。
日本の人ばかりのオプショナルツアーだと、日本語を英語に訳さなきゃならないから,英語国にきて,しかも高めのツアーにのるなんて、ということで10人くらいのグループを連れて行くのに乗りました。白人の歴史が浅いから、大陸とアボリジニーの歴史の古さ、そのお話が圧倒的に多かった。
南のシドニーとか、メルボルンはまた違うんでしょうね。
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 2002/05/31 (Fri)
□ オーストラリアのおまけ
で、午後1時半にケアンズを出発した飛行機、5時半ごろにグアムに着き,乗客の足がUSAに着地したのは日もとっぷり暮れた8時半頃。入国検査管のおばちゃんで怖い人がいて、うろうろ。(曰く、きっと突然300人もの予定外の仕事が増えて,残業にフキゲンだったんじゃないか。でも、大変なのはこっち。だって自分のせいじゃないものね)やっと外にでるとケアンズの空気より重くて暑苦しい。(ケアンズは秋だったし,夜になるとひんやりした微風もふいた)やっときたバスにのりこみ、ホテルに。Hiltonで、ありがたかったけど。夕食はサンドイッチを用意してくれていた。もう夜の10時半を回っているのに、ホテルのアロハにバーミューダの職員さんたち、にこやかにしてくれていて,ほっとする。夜中の、0時に連絡集合となり、それぞれの部屋に散る。部屋に行って,荷物をといて,夫が困った顔をしている???今度は何?カメラがない!!オーストラリアを出るときに、きっとスーツケースに入れたんだといっていたのが、やっぱり私の予感道理だった。結局、むこうでとった写真、ほとんどなし。ここで、オーストラリアであせったことを。。。まず。夫が熱帯雨林ツアーのバンの中にお土産の入った袋を置き忘れてきて、私がとても怒ったので、ツアーの会社に電話して、戻ってきたんです。でその同じ日に私のコンタクトレンズ入れが洗面台から消えてなくなって,もう、大変。汚れたタオルも置き忘れていったようなメイドさんなので、掃除したときに他のタオルか何かにまぎれてしまったのだろうと、フロントに探してもらうように頼んだら,翌朝,やはり出てきました。もう、この二件で、がっくり疲れる。なんせ、探す、という作業をしてからですからね。で、ついにカメラはフィルムごとなくしてしまいました。夫が忘れ物をしないように気を配るのがいつも大変で,ストレスなんです。まるで,幼稚園か小学校低学年の児童みたいでしょ。忘れるくせに,かばんを持つのを嫌うんです。私がもってるのに入れて,無くなると,わたしのもってるかばんやふくろだから,とか私を逆ギレさせることを言うので,今回は2回もプッツン、じゃなくて、ブツリ、とね。この次行くことがあったら(行きたくない、夫とは)、自分の持ち物は自分でかばんに入れて,ひととしゃべったり(すぐ人としゃべりたがる。知らない人とのほうが気合が入るのは何でなんだろう。これは、心理的になにかありそう)次の行動に移る前にまず手にもってるものを中に収めて、と幼稚園の先生なみ。(私,子供はにがてなんですよ。特に小さい子の世話をするのは。。。やっと子供の世話をしなくてよくなったのに。。。)
で、カメラが,となり、私はどっと疲れ,夜中のmeetingは日本語だし私が行った方が早いだろう,と思ってたんですが、そんな気分さらさら無くなり,彼に行ってもらうことに。次の日の朝食と昼食の食事券をもらってきましたが,結局帰りのフライトに関しては判らず。あさ、めがさめると7時過ぎ。部屋の外はテニスコート。テニスをしよう、ということに。なんせ、ケアンズではマイナーなようで、ホテルできいたら怪訝そうで、できるけど、遠いよ,といわれてやめにしたんです。そうだよね。あそこはマリンスポーツだし、観光地なんで、経済効果のあまり無いものは積極的に勧めてないみたい。そういえば,ケアンズでテレビみてたら、スポーツはワールドサッカーのことも少しは行ってたけど,ビッグなのはホッケーとラグビーのようです。やはりイギリスの伝統が強く残ってますね。テニスはもっと南の方では盛んみたいだし。朝食は、バイキングでしたが,とても内容が充実してました。その後,一時間ほど、テニスをしましたが,あまりに暑くて、湿度も高いし,すぐばててしまった。コートの横の芝生のなかのチャペルでは結婚式があるらしく、人が集まってきていました。そんなこんなするうち,集合じかん、一時半、ということでチェックアウトしてお昼を食べてたら,時間が早まって12時半なんていうもんであせる。お昼を食べ損ねた人もいるらしい。集まったものの,バスがこない。飛行機は3転、4転して、成田直行便には乗れず、関空まで。そこで入国手続きをして、羽田便に乗り換え。羽田に着くのは予定で、22時35分。えっ、車の乗って帰れるの?バスを待つこと一時間。暑い中をみなあきらめ気味。飛行場につくと、チェックインも長蛇の列。さて,家に電話しなければ。それと駐車場。家にしたら,旅行社から連絡あり。駐車場にもれんらくしてくれていた(日本はありがたい国です)、が、よる11時までしかあいていない!羽田着10時半じゃとてもその時間までに成田には無理。ということで,羽田から東京の実家に帰って,翌朝成田に行くことにした。職場に連絡すると,出勤簿を29日までに出してもらいたいと、まだ19歳の2年目の青年にあせった声でいわれて、出勤します!翌朝,6時半に家を出て,成田で車を引き取り、家に帰ったのが,10時頃でした。夫は風を引いてダウン。それでも仕事に行くとがんばったのですが,結局仕事へはいけず,東京の家へ。私,午後顔を出すだけのつもりでしたが、5pmまでちゃんとお仕事してしまいました。
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 2002/05/30 (Thu)
□ オーストラリア
5/23からオーストラリアのケアンズと言うところに行ってきました。夫の会社の2年に一度の社員旅行です。(家族半額!)
ケアンズってどこかしってますか?オーストラリア大陸の東北の太平洋に面した、大さんご礁が連なり、熱帯雨林の広がるところです。海の得意でない(注:水が怖いわけでない。泳げます。念のため。紫外線アレルギー)
私は、熱帯雨林の見学に一日をすごしました。ガイドのおじさん、しゃべりんで、とにかくしゃべる。知識豊富。山脈は美しく煙り、サトウキビ畑と牧場(乳牛が主のようです)バナナ畑が延々と続いてました。その中で,珍しかったのはお茶畑。少し山の奥のほうで、日本と韓国が緑茶の栽培をするプランテーションを作ってて,それが,ブラジルにおされ気味の砂糖きび栽培で困っている人たちの雇用の確保に役立っているんだそうです(緑茶を飲みましょう!だけど、どこに利用されてるんでしょ。ペットのお茶の多くは安い中国のものが原料だと聞いてますけど。。。)次の日は、車を借りて,ちょっと北のポートダグラス、という美しい海岸線に沿って一時間くらいの高級リゾートらしいところに行ってみました。それらしい町並みで、おくの建物まで緑を植え込んだ小路が続いているレストランの小さな門にはクリントン一家の写真が出してありました。私たちには途中でよった、海岸沿いの町のほうが静かで,海岸線に沿った道も人が歩くのを優先したようなところが気に入りました。人もずっと少なかったし。コアラを抱っこして写真をとりました。途中のちいさな動物園で。ケアンズは人口13万人ほどの町で,観光がおもな財源のよう。食べものは結構いけました。アメリカほど味付けが油っぽくなかった。外国からきて働いているひとも多い。ドイツ人、日本人の若い人がおおいみたい。帰りのお話をしましょう。あと3時間くらいで成田、というところで、機長からのアナウンス「15分後にグアムに到着するのでシートベルト。発動機のひとつが使用不能なので」いきなりなので,おどろく。でも、とりあえず誰もパニックには陥らず。無事着。そとにでられるのかな、と思いきや、USAなので出られず。待つこと3時間近く。おなかがへった、の声があちこちから。結局直したものの「カンタスのシドニー本社ならびにオーストラリア政府のOKが出ない」ということでグアムでとまることに。。
(つづく)
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